FC2ブログ

スポンサーサイト

--/--/-- -- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告
西日本豪雨災害による被害が甚大となってしまいました。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々に対しお見舞いを申し上げます。

さらにその後、全国的に猛暑が続き、気象庁は遂にこれを災害と認定するに至りました。
昨今、災害が多くなってきてるのでは?と皆さんも感じているのではないでしょうか。

だからというわけではないのですが、今回は天皇陛下の被災地訪問をはじめとした行幸をされるお姿などから解釈される、世間の風潮について日頃から感じてる違和感をお話ししたいと思います。

御料車
(行幸の際に使用される御料車)
それは昨今よく見られる論調に、「戦後の天皇陛下は象徴天皇という”新しい”天皇像を模索されてきた」というのがあります。この”新しい”というのが引っ掛かります。その”新しい”根拠として「国民と直に触れ合うようになり、国民に寄り添うようになったから」といった解釈です。さらには「戦前や、もっと昔の天皇とは違って・・・」という枕詞が付くことすらあります。

これは大きな間違いです。

先の譲位の御意志を表明された今上陛下のお言葉です。

「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。」


このお言葉から見ても模索されたのは、”新しい”憲法下において、従来の天皇・皇室をどう融合させるか?という所を模索されていたのであって、一から新しい天皇を作り上げたわけではないのです。

どういう事かというと、戦後の天皇も、戦前あるいは古来からの天皇も、”国民を思い国民の為に祈る”という本質、理念は何も変わっていないということ。変わったとすれば、その表現方法だけなんです。

現代は交通の発展、メディアの発展がめざましく、今上陛下がしてくださってるような全国各地への行幸も技術的に容易で、またそのお姿もメディアを通して容易に国民に伝わります。今上陛下はそういう状況を活用されながら全身全霊でご公務をされてきました。誠にありがたい事です。

しかし古来の天皇はといえば、そのような恵まれた状況下にはなかったわけです。また政治背景もそれぞれ全く違います。ですから戦後の天皇とは表現方法も当然違っていきます。要するに何が言いたいのかというと、天皇が国民に寄り添うようになったのは決して戦後からではないという事です。

いくつかの例を時代ごとに超簡単に紹介してみます。




古墳時代 第12代 仁徳(にんとく)天皇
有名な「民のかまど」のお話です。仁徳天皇が山の上から見下ろすと、ご飯を炊く煙が家々から上がっていない。そこで民が生活に苦しんでいることを知り、3年間、納税や労役を中止させました。

奈良時代 第45代 聖武(しょうむ)天皇
以前にも高尾山薬王院参拝で触れましたが(詳しくはこちら)、この時代は酷くて、地震、飢餓、疫病、火山噴火と災難の連続でした。仏教を深く信仰されていた聖武天皇は、国民の平和な暮らしを願い災いをなくすために全国に国分寺を創建するなど仏教政策を施しました。

平安時代 第52代 嵯峨(さが)天皇
この時代も大変な飢餓や災害が何年も続きました。むろん財政難でまともな政策を打てない。この時、嵯峨天皇は大覚寺に写経を奏上され民のために祈られました。その写経は今でも残っています。

勅封心経殿
(嵯峨天皇の写経が奉安されている大覚寺の勅封心経殿)

室町・戦国時代 第105代 後奈良(ごなら)天皇
こちらも皇室が財政難の時で、全国に疫病が流行しました。その際にやはり後奈良天皇は写経され、全国の一宮二十五カ所にお納めになっています。

江戸時代 第119代 光格(こうかく)天皇
この時も飢餓がおこり、この際に光格天皇は幕府にかけあって米を放出する政策を実現させました。この行為は公家諸法度に明らかに反する行為であったにも関わらず、厳罰覚悟でこれを行っています。

明治時代 第122代 明治天皇
明治天皇に関しては近代ですから様々な記録、お話がいくつも残っていますが、あえてマイナーな話を一つ。
明治32年香川県で暴風雨に見舞われ、寒川町においても堤防が決壊するなど大きな被害がでました。その時には明治天皇から金6700円が下賜(要は寄附)されたそうです。これは今でいうと2~3000万円ほどの大金になります。そして明治天皇が崩御されると堤防に明治天皇社を造営して、崩御された7月30日を明治天皇祭の日として感謝されたそうです。




このような例は他にもきりがないほどあります。様々な時代の天皇がいかに民を思って祈り寄り添っておられたかという事がよくわかります。つまり、繰り返しになりますが、このような天皇・皇室の理念は決して戦後に新たに生まれたわけではないのです。もともと皇室に伝承されてきたその理念を、昭和と平成の天皇陛下もそれぞれ体現されていたという事なのです。

最後に鎌倉時代の後嵯峨(ごさが)天皇の御製(天皇の和歌)を紹介したいと思います。

さばへなす 荒ぶる神に みそぎして 民しづかにと 祈る今日かな

セミのように騒がしい荒ぶる神に対し、川で禊ぎをして、国民が穏やかに暮せるようにと祈る今日、という意味になるかと思います。これは晩年の上皇時代に詠まれています。来年に御譲位され上皇となられる今上陛下が、譲位後どのような御歌を詠われるのか今からとても楽しみです。


スポンサーサイト
大御心 | コメント(0)
コメント

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。